2020年、アメリカでは約30万人の女性が、がん細胞が乳房とその周囲のリンパ節を超えて、体の他の部位へ広がる進行性の乳がん(転移性のがん、ステージⅣまたは浸潤がんともいわれる)と診断されたんだそう。
治療の過程が過酷なものであると同時に、進行性の乳がんを患う女性の中には、この病気に対する「誤解」に傷つくことがあるという人も。
本記事では、進行性の乳がんと共に生きる女性6人の声を<ウーマンズ・デイ>からお届け。病気との向き合い方、治療への覚悟、そして世の人々に知ってもらいたいことを、それぞれが語ってくれました。
ダニエル・サーストンさん(コロラド州ボルダー在住)
「がんに“勝つ”ことはできない――この事実を受け入れるには時間がかかりました」
ステージⅣの乳がんと診断された時に「治療が終われば新たな人生が始まるチャンスかもしれないと受け止めた」という、ダニエルさん。ところが、最初の診断から2年が経過した37歳の時にがんの転移が判明し、病に対する“新たな捉え方”を受け入れなければなりませんでした。
「進行性の乳がん患者にとって、治療の終わりは死を意味するのですが、それを理解するには時間がかかりました」
このことは、彼女の愛する周りの人たちにとっても、理解するのが難しいことでした。だからこそ、ダニエルさんは繰り返し「がんに負けない」と声をあげているのだとか。
「いくら病気の兆候が見られない時間が長く続いたとしても、がん細胞は血液中を循環し、根づくのを伺っているのです」
ダニエルさんは、病気の厳しい現実に打ちのめされる日が来るかもしれないとわかっていても、前向きに生きようとしています。
「治療により、地獄さながら恐ろしいほどの副作用に苦しめられてもいますが、私はまだ生きています。現実主義と楽観主義の狭間に、微妙なバランスで立っているんです。治療法がない限り、私はがんと共に生きていくしかない。今は治療法のない病気ですが、必ず新しい治療法が出てきます。だから、自分に向いていない治療法でうまくいかなくても、また別の治療法があるという事実に目を向けて、治療を受けるようにしているんです」
デルトラ・クルーマーさん(コネチカット州ニューヘイブン在住)
「あなたが経験していることを正確に理解してくれるコミュニティを見つけ、共に学ぶことがとても重要です」
5人の子どもの母親である、34歳のデルトラさん。医師から進行性の乳がんであると告げられた時を「まるで幽体離脱したような気分だった」と振り返っています。
胸にしこりを見つけてから数週間後に受けた超音波検査と生検の結果、乳がんと判明。腫瘍専門医から複数の全身をスキャンする検査を受けるように言われ、その結果、がんが肝臓に転移していることがわかりました。「その頃が人生で一番おびえていた時期ですね」と、デルトラさんは言います。
最初の診断で受けたショックがやわらぎ、治療が始まったころ、同じ病気をもつ女性たちのオンラインコミュニティへの参加を友人から勧められたのだそう。
「初めは、そんな繋がりを持つのは嫌だったんです。でもいったん繋がりができると、私にはこれが必要だったのだとすぐに納得しました」
自分のことをよく理解してくれる人がいることは、とてつもなくありがたいことだったと語るデルトラさん。
「がんのコミュニティの中でも、進行性乳がんは特別ながんです。ピンクリボン運動に参加したり、がんのない人生を喜ぶことが、すべてではありません。フルタイムで働き、何年も生きているグループの女性たちからは元気をもらっていますし、頼れる人がいる、ということも大きな力になります」
アビゲール・ジョンストンさん(フロリダ州マイアミ在住)
「進行性の乳がんが他のがんとは違うことを知ってもらいたい」
アビゲールさんが胸にしこりを見つけたのは、2017年3月、38歳の時でした。
乳腺腫瘍摘出手術の後、医師からステージⅡの乳がんであると告げられ、さらにその3カ月後、乳がんが骨まで転移し、ステージⅣまで進んでいることがわかったのだそう。事実、大腿骨にあった5センチの腫瘍は、骨を砕いてしまう可能性があるほどのものでした。
「両足にチタン製のロッド(棒)を入れる手術と、予防摘出手術を行った後、完全に更年期障害になってしまいました。がんは突然変異するということを学んだので、結婚して12年の夫、5歳と7歳の2人の息子たちと共にこれから充実した生活を送るために、できることは何だってやってみようと思っていました」
がんの転移を抑えるために使用された療法と薬のせいで、気分が悪くなることが多いものの、オンライン上で頻繁に目にする「大丈夫、あなたならできる」「私の知ってる人の中でもあなたは最強の人!」というような力強いコメントに元気づけられたと言うアビゲールさん。
中には「遠い親戚ががんを克服した」という話をしてくれる人もいたんだそう。けれど、アビゲールさんが多くの人に知って欲しいのは、「進行性の乳がんは他のどのタイプのがんとも違う」ということ。
「私は死ぬまで治療を続けます。髪がまた生えてきても、化学療法の影響から肌の色が回復しても、見た目も自覚的にも元気な日々を送っていたとしても、私はがんと闘い続けなければいけないんです」
周囲による最善のサポート方法は、「とにかく質問すること」だとアビゲールさん。これまでに一番励まされたのは「今日の調子はどう?」「こんな情報があったけど役に立つかな?」というような、ごくシンプルな言葉をかけてくれる人たちの存在だったそう。
「大切な人が進行性の乳がんと闘っていたら、ぜひ手を差し伸べてください。『私はいつもあなたのことを思っているよ。どう言葉をかければいいか分からないけれど、あなたのことをいつも気にかけています』と言ってくれるだけで最高です」
ゲイル・カーソンさん(フロリダ州マイアミ在住)
「プラス思考のおかげで、30年間やってこられたんだと思います」
82歳のゲイルさんが乳がんと診断されたのは、1987年の時のこと。
「当時は49歳。毎日運動し、体にいい食事を摂り、飲酒も喫煙もしていませんでした。がんが見つかったのは、夫がマンモグラフィを受けるように勧めてくれたからでした」
その後、数年間に腫瘍摘出手術に乳房切除手術、化学療法、放射線療法を受け、がんを瀬戸際でおさえるために数えきれないほどの薬物治療をしたゲイルさんですが、2010年にがんが再発。骨まで転移していました。
がんとの容赦ない戦いを思うと、終わりのないネガテイブな思考に陥ってしまうと考えたゲイルさんは、自分のことを「Spunky Old Broad(とびきり元気なおばあさん)」だと思うことにしたのだとか。
「私は自分を哀れだとは思いません。自分がやろうとしていることをやるだけです。笑顔でベッドに入り、笑顔で目覚め、愛する2匹の猫がいて、プラス思考を忘れずにベストを尽くしています。そのおかげで、この30年間やってこられたんだと思うんです」
リズ・ロドリゲス-コールさん
「他人に自分を理解してもらうには限界がある。でも、そのことを大事な人たちに話すことで、とても救われました」
進行性の乳がんと診断された数カ月後から「1日20スプーン」習慣をはじめたという、リズさん。
歯を磨いたり洗濯物を畳んだりするような“エネルギーを消耗すること”を済ませたら、その度にスプーンを1つ、2つ…と置いていくんだそう。こうして20本のスプーンをすべて置いた時、リズさんがその日にやることの限界に達したことに。
大切なことをするためのエネルギーをいかに蓄えておく必要があるかということや、なぜたびたび休息を取る必要があるのかを、当時4歳だった娘のキャメロンちゃんに教えるために、この方法を考えたのだそう。
そんなリズさんの人生は、23歳の時にステージⅡの乳がんと診断されてから、同年代の女性たちとはさまざまな点で違っていました。手術と化学療法でがんは消えたと思っていたものの、29歳の誕生日の2日前に胸の痛みを感じたことをきっかけに、がんが肺から肝臓にまで転移していることがわかったのです。
「私と同じ年齢の人は、1日に4回も昼寝する必要はないし、株が暴落しても『お金を貯める時間はまだあるから大丈夫』と考えるでしょう。でも、私はちょっとしたことをしただけで疲れてしまうし、個人年金制度が盛り返すのを待つ時間はないんです」
また、新しい現実を受け入れるのは簡単なことではなかったものの、そのことを素直に認めることは重要なことであり、スプーン理論は他人に自分の気持ちを理解してもらうのに役に立ったと言います。
「今では、実際にスプーンを持ち歩く必要はなくなりました。私があくびをしているのを見ると、娘は『お母さん、もうスプーンがいっぱいだよ。お昼寝する時間だよ』と言ってくれるんです」
サンディ・スピベイさん(カリフォルニア州ラグナニゲル)
「進行性の乳がんでも長生きできるし、充実した人生を送ることはできます」
67歳のサンディさんが初めて進行性の乳がんと診断されたとき、医師から3年以内の生存率が10%だと告げられたそう。
「ステージⅡの乳がんの治療が終了して“がんを克服した人生を送る”という自分の希望がなんとか叶ったと思った矢先、骨に転移しているとわかったんです」
それから20年後の現在も、サンディさんは健在。進行性の乳がん患者が利用できる治療の選択肢がとても増えたおかげで、元気に活躍しています。
「1988年には進行性の乳がんの患者が利用できる治療は7種類しかありませんでしたが、今では100以上にもなっています」
治療の前線ではかなりの進歩が見られているものの、進行性の乳がん患者が医療給付を受けるまでの道のりがあまりにも長いことに、サンディさんはショックを受けたと言います。
「現在のアメリカの法律では、進行性の乳がん患者が社会保障障害保険を受け取るまでに5カ月、医療保障制度の給付の開始までにはなんと24カ月の待機期間が設定されています。私たちには、時間もお金の余裕もないのにかかわらずです」
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※この翻訳は、抄訳です。
Translation: 西山佑(Office Miyazaki Inc.)